「どうして自分ばかり・・。」
毎日辛いことばかりです。
生きづらさを感じる原因と対策を教えてください。
以上のような、人生の悩みにお答えします。
本記事では、生きづらさからの解放と幸せのつかみ方について解説しました。
生きづらさの原因は悪い考えグセにあります。
原因の発見+課題の分離+良いクセに修正=世の中の見方を180度変えられます。
著者自身、HSPがきっかけで鬱を発症し休職に至った経験がありますが、今では日々ゆとりをもって幸せに生活出来ています。
本記事を読み終わった時「人生ってもっと自分勝手に生きていいんだ!」と思えるはずです!
生きにくくしているのは自分自身です。
実のところ、人生は自分が思っている以上に単純なものです。
私と一緒に複雑に絡み合った糸を一つ一つ解いていきましょう。
そもそも、生きづらさとは?
「~しづらい」とは「ある行為をするのが困難なこと」を指しています。
- Qでは、人生で困難が生じるのはどんな時でしょうか?
- A
自身ではコントロール困難なことをどうにかしようとする時です。
- Qここで、人生においてコントロール不可能なこととは何でしょうか?
- A
老いと他者です。
※他にも、お金の問題や健康などと考えた方もいるかもしれませんが、現代では困難ではあるものの、ある程度コントロール可能だと判断できます。
老いは平等に訪れるものであり、当然自身ではコントロールできないと認知しているため、それまでの人生をどう生きるか?という思考につながります。これを「肯定的なあきらめ」と言います。
しかし、HSPは繊細であるがゆえに、他者との関係においてある程度コントロール可能だと幻想を抱き、他者を知ったつもりで生きてしまうことがあります。
☞理由は、自分のものさしで他者を測ってしまうからです。
過去に人間関係で困難だと感じた経験を思い返してみてください。
- 自分だったらこうするだろう・・・
- 一般的にはあのようにするのに・・・
上記のように考え、他者が自身の想定外の行動をとり、過去にトラブルに繋がった経験はないですか?
きっと皆さんも経験していることでしょう。
しかし、他者の行動を予測する時、私たちは今までの人生経験からでしか予測できないため、そうせざる負えないのです。
ここでよく考えてみてください。
未来を予測するなど誰にもできません。他者が自分でない以上、他者の思考や行動を完全に理解するのは不可能です。
これを「予測不能なパラメーター」と言います。
「予測不能なパラメーター」に対し、人が対処する術が、経験則なのです。
経験則は自身が育った環境から大きく影響を受けるため、環境が異なる他者とは経験則が異なるのは必然です。
つまり、生きづらさとは「予測不可能なパラメーター」に対し、どう対処したらよいかわからない状態を指しているのです。
- Q『「予測不能なパラメーター」=対人関係)』は避けて通れるのでしょうか?
- A
不可能です。
人は生まれて死ぬまで一人で生きていくことはできないからです。
逆に言うと、世界で唯一自分だけの世界であったとしたら、そもそも生きづらさは生まれません。
もし「そんな世界があったら孤独で辛い・・」と思うのであれば、他者の存在を認知し比較しているからであり、本当にそのような世界があるとすれば、そもそも生きづらさという概念すら生まれません。
ニンゲンは漢字で人の間と書くように、人と人との関わりを通して生きていくことが不可欠なのです。
つまり、生きづらさはすべての人で起こりうるものです。
- Qでは、生きづらさは克服可能なのでしょうか?
- A
可能です。
自己と他者のコミュニケーションの問題であるからです。
では、生きづらさの根本的な問題はどこにあるのでしょうか?
生きづらさの原因
☞原因は『自己と他者との距離感のチューニングが上手くできていないから』です。
☞結果として『他者との衝突を避けるために、自分を気持ちを抑え他人が期待する行動を優先するようになった状態が生きづらさ』のです。
一般的に思春期に自己と他者との距離感のチューニングの一環として行うのが反抗期です。
反抗期は「ここまでだったら許される、ここまでやったら怒られるといった距離感のトライ&エラーを繰り返している時期」なのです。この過程でコミュニケーション能力を高めていると言えます。
しかし、反抗期がなかった所謂”いい子”と言われるHSPは、反抗期で許されていた人との距離感をつかむトレーニングを十分に行えていなかった可能性があります。
人は自分らしく生きようとすればするほど、衝突は避けては通れません。
しかし、対人関係での衝突を繰り返していくうちに、石の角が取れていくように、自分らしさに磨きをかけていくのです。
しかし、対人関係での衝突を避けようとすると、自分らしさを抑え、他者に寄せた思考や行動をとるようになります。
つまり、生きづらさとは他者の人生を生きている状態なのです。
他人の人生を歩んだままだと?
人との衝突を恐れ、自分らしさを押し込めて生きることは
☞”人生をいい子の役で演じ続けること”
と同じです。
他者からの嫌悪を過度に恐れるあまり、他者の顔色や態度に敏感になり、できもしない他者の行動を予測し”いい子”を演じ続けるのは大変な労力です。
ですが、他者を思っての行動だと勘違いしがちですが、実は”自分が嫌われたくない”という自己中心的な考え方だと認識する必要があります。
人は自己中心的な感情に非常に敏感な生き物です。他者に拒絶されないために行っていた”いい人”はいつしか”都合のいい人”に変わってしまうのです。
- 自分はこんなにも他者を思いやってやったのに」
- 「なぜ自分ばかり損をするんだ」
そうやって繰り返していくうちに「自分らしさとは何か?」を見失い、”やりたい”よりも”やらなければ”を優先し続けた結果、本当にやりたいことが分からなくなるのです。
『自分らしさ』を抑圧され続けると、自身の中での”演じていたいい人”と”自分らしさ”の分離がますます進み、本当の自分がどちらなのかわからなくなります。
分離が進行すると”自分らしさ”は影を落とし、行き場のなくなった”自分らしさ”は、いつしか鬱として自分自身を襲ってくるのです。
生きやすい人生に変える方法
ここまで読んで頂いた方は、もうお分かりかと思います。
生きやすい人生に変えるには『自分らしく生きること』なのです。
「自分らしく生きることが難しいから悩んでいるんじゃないか!」
と思いますよね。
ここからが本題です。
生きやすい人生に変える『正しい考えグセ』に変えていきましょう!
自己と他者の距離感のチューニング
先ほどの話の中で、人間関係で悩んでいる人の多くは自己と他者の距離感をつかむことを苦手としており、他者に寄せた思考や行動を優先している状態を生きづらさの正体であるとお伝えしましたね。
そのため、まずは自己と他者の距離感のチューニングを行いましょう。
距離感のチューニングには以下の3ステップが必要です。
以下より、各ステップを見ていきましょう。
①課題の分離を行う
☞第一ステップは課題の分離を行うことです。
それには、課題の分離が必要です。
課題の分離とは「その選択を実施したことで最終的に”誰が”結果を享受するのかを考えること」です。
課題の分離の具体例を見てみましょう。
いやいや、職場の先輩なのだから指導するのは当たり前でしょ!
上司として監督責任もあるし先輩の課題でもあるでしょう!
先輩は「あなたのためを思って」といった言葉を使って指導してくることも多いかと思います。
しかし、実際のところ先輩は自身の目的(先輩としての指導不足から上司に叱られることを恐れている/あるいは支配欲を満たす)ために行動しているのです。
「あなたのため」は「私のため」であり、その欺く態度に人は反発するのです。
では、他人の課題だからと放っておく方が良いのでしょうか?
そう、ここで注意が必要なのです。
そもそも、放任とは「無視して干渉しないこと」「知ろうともしない態度のこと」を指しています。
大切なのは『相手の状況を理解した上で見守ること』そして『本人の課題であることを理解し合ったうえで、自身はいつでも助ける準備ができていると示すこと』なのです。
それでも相手の課題に踏み入れたいと考えるのであれば、自分の課題として行動することへの責任感が大切なのです。
おせっかいだと相手に嫌われようと、自身の欲のために行動していると蔑まれようと、行動には必ず責任が問われ痛みが生じるのだと理解する必要があるのです。
②課題の分散を行う
課題の分離では自己と他者の2人の世界での話をしましたが、本当に2人だけの問題だったのでしょうか?
先ほどの具体例をもう一度見てみましょう。
遅刻の責任は他にも後輩の家族にも問題があったかもしれない。私以外の上司にも指導義務があるかもしれない。責任の所在が誰かひとりだけということは、実際のところ稀なのです。
そのため、もし相手に対し何もできなかったとしても、自身を過度に責める必要など無いのです。
このように「責任の所在は他の人にもある」と視野を広げることを『課題の分散』と呼びます。
罪悪感が生じたときは、課題の分散を行うことで心がぐっと軽くなるはずです。
ここまで、課題を整理するために『分離→分散』のステップを踏んできました。
残すは必要な課題を受け入れる作業です。そう『自己受容』です。
③自己受容
人は今よりも良い状態になりたいと願う普遍的な欲求があります。これを『優越性の追求』と呼びます。
優越性の追求には、必ず比較が伴います。
現在の満たされていない状態や他者の成功を比較することで、自身の足りないところを補うために、人は努力を重ねるのです。
この比較は、自身の成長に繋がるため『自己成長のための比較』と呼びます。
しかし、比較が他者の欲求(承認欲求)を満たすためのプロセスとして扱われたとき、人は終わりのないラットレースに足を踏み入れることになるのです。
例えば「〜すべき」「〜しなければならない」といったように、この言葉が語尾につく場合、自身はやりたくはないが他者から悪く思われたくないが為に一般化した、自身が勝手に決めた行動指針であるため注意が必要なのです。
これを『承認欲求を満たすための比較』と呼びます。
実は、承認欲求を満たすための比較が自身を大いに苦しめる結果となるのです。
「あの人はこういった人だから、こういう自分でなくてはならない」
想像上の他者の感情から理想の自分を映し出し、比較することで足りない自分を補おうとする行為は、他者という予測不能なパラメーターというレンズに自身を投影して得られた虚像を追いかけ続けるのと同意なのです。
当然、虚像は他人というレンズを介している以上、計り知れない大きさとなった理想の自分には決して追いつくことなく、近づけば近づくほど大きくなり、最後まで掴みきれず消えて無くなるのです。
ここで気づいてほしいのが、虚像は逆さまであること、つまり本当になりたい自分ではないのです。
大切なのは何者も介さない等身大の自分自身を受け入れることなのです。
過度なラベリングをやめる
人は失敗が続くと、失敗を恐れるようになり、挑戦する前から諦めるようになります。
- 「どうせ自分なんて」
- 「何をやっても無駄」
このように、必要以上に自身を悪く決めつけることを『過度なラベリング』と呼びます。
過度なラベリングは、自身を傷つけるのにも関わらず人は落ち込んでいる時に行うことがあります。
なぜなら、過度なラベリングを行うことで、そもそも挑戦することを放棄し失敗せずに済むからです。つまり、未来に進む勇気がなく、過去の自分を言い訳にしているのです。
ここまで読んでくれた人はもうお分かりかと思います。
最後に必要なのは、勇気なのです。
嫌われる勇気
なぜ人は承認欲求を求めたり、他者の期待に答えようとするのでしょうか?
理由は単純です。他者に嫌われたくないからです。
でも、ここでよく考えてみてください。
☞他人に嫌われないように演じた自分を好きになってくれた人は、本当にあなたにとって大切な人なのでしょうか?
仲良くなるきっかけが見せかけの自分だったとしても、本当の自分を見せたことで崩れてしまう関係に本当の価値はあるのでしょうか?
自分らしく生きるためには、他者との衝突は避けられません。
☞あなたは嫌われることを恐れ、『自分らしさを檻の中に閉じ込めたまま』にしておきますか?
扉を開けるための鍵を持っているのは、他ならぬ自分自身なのです。
共同的感覚を掴む
人生は旅のようなものです。
自分らしく生きたことで、自分を必要とし共に人生を歩んでくれる人を親友、同志、あるいは家族と呼んでいるのです。
もしあなたが今、ここで辛く悲しい思いをしているのであれば、より大きな共同体の声に耳を傾けてみましょう。
あなたがあなたらしくいることで心地よいと感じ、手を差し伸べてくれる人がきっと現れるはずです。
そして、あなたがその人のために、自身の利益などを全く考えず、大切に思う人のために行動したいと考え役に立てた時、その思いがあなたの生きる目的となり、道標となるはずです。
まとめ:HSPは長所です!相手のためを思うなら、自分らしく生きよう!
ありのままの自分であることは、時として傷つき傷つかせることになるでしょう。
しかし、それは自分らしさに磨きをかける上で必要不可欠な過程なのです。
あなたを嫌う人が沢山いたとしても、あるがままの自分を心から愛してくれる人がきっと現れるはずです。
だから、嫌われる勇気を胸により大きな共同体の声に耳を済ませて一歩踏み出してみましょう。
きっと大丈夫。あなたのままが、一番美しい自分なのだから。
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